2012年3月18日日曜日

肚は空っぽ

時間、戻らへんかなあ。

自分の行いのすべてが間違っている。

やさしくなりたいとか言いながら、なんだろう、意思とは別のとこで俺のせい。

ごめんなさい。

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田中慎弥『共喰い』を読んだ。

芥川賞受賞作が2つとも載ってる文藝春秋を買ったのはずっと前で、でもなんとなく読む気がしなかった。

作品の評判とかあらすじは知らないで手に取った。


掲載ページに辿り着いて読み始めたときは、描写の鬱陶しさに、勘弁してくれという気持ちになった。

この物語は、非日常的な性描写と、人間の肉体の醜さや陰鬱さに塗れて進んで行き、そのまま終わるのであろうことがぼやぁっとわかっていく感覚に、嫌気が差した。

読み始めて1分かそこらで、数ページ送って目を紙面に走らせると、セックスという文字が一瞬見えた。これで期待をせずに済むので、僅かながら安心して読むことに戻れた。



一つ特徴的だったのは、川辺という地域について執拗に繰り返される描写だった。
田舎独特の、永遠に夏が続いていくあの感覚をとても強く感じた。


正直、自分はどんな作品でも、暴力やセックスの場面は好かない。
人間の悪い部分ばかりを抉り出し、また自分自身の悪癖を高らかに掲げる類の心理描写も好かない。


でも、そういう失望感や違和感を気づかない内に吹き飛ばすほど、自分は川辺という地域にどっぷりと引き込まれていった。
そのことに気付いたのは 、捲った先のページに「道化師の蝶」というもう一つの芥川賞受賞作の題字を見たその後だった。

確かに物語は俺を引き込み、ありありと浮かぶ情景は、強烈な印象を俺の中に残した。

だがそれだけだった
読んでいて楽しくなかった。

きっと、強烈な印象はすぐに消えていくし、俺の精神には何の影響も残さないと思う。

そういう感想を持った。

2012年2月5日日曜日

発表するということのメモ

◆発表とは

  情報を他人に対して伝達すること

  たとえば、

  ・討議で意見を発表し合う
  ・学会で成果を発表する
  ・愛を告白する

  などがある。


  発表は数と関係性で、

  + 集団の中の発表:多数 ←→ 多数
  + 一方的な発表  :1人  →  多数
  + 相互の発表    :1人 ←→ 1人

  にわけられる。

  以下、

  + 集話
  + 独話
  + 対話

  と呼ぶ。


  すると、

  ・討議は「集話」
  ・学会は「独話」
  ・告白は「対話」

  となる。


◆発表の力

  発表の目的、

  - 説得する
  - 説明する
  - 感銘を与える

  この3つ。

  すると、

  - 討議では「説得する」
  - 学会では「説明する」
  - 告白では「感銘を与える」
 
  ことになる。


  すなわち、

  ・討議は「説得する集話」
  ・学会は「説明する独話」
  ・告白は「感銘を与える対話」

  となる。


  これらを組み合わせると、
 
  例)井戸端会議は      「説明する集話」
      ピアノの発表会は  「感銘を与える独話」
      営業マンのトークは「説得する対話」

  などなど。


◆ここからは

  「説明」に絞って書いていきます


◆説明とは

  ・知らない人
  ・知ってても不十分な人

  に、
 
  情報をわからせる
 
  ことです。


◆説明の技術

  説明は、
 
  ・わかりやすく
  ・丁寧
 
  でないといけない。


  2つのこと、

  1.記憶力の補助

     ・簡単な言葉を用いる
     ・順序よく進める
     ・重要なことを繰り返す

  2.想像力の補助

     ・図や絵で示す
     ・声に抑揚をつける
     ・実演や動作を用いる

  気をつけよう。


◆説明の手法

  説明には、

  「流れ」
  「ストーリー」
 
  これが大事。


  これには色々ある。

  ・時間の順序に従う
    → 歴史の本

  ・場所の順序に従う
    → 家電の説明書

  ・事実を示す
    → 裁判

  ・統計を用いる
    → ランキング

  ・比較(グルーピング)を行う
    → この投稿

  まだまだまだまだある。

  けど、


  以上。(疲れた)

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参考文献:『話の事典』(平井昌夫)
            → 今日図書館で借りた
               → 面白い。

2012年1月24日火曜日

これはステマではありません

鍵括弧つけられるものの限界はどこかと考えたら、むずかしくなった。

あり・なしでわけていく。
個人的感覚やから何の参考にもなりません。


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まずは常識の範囲で


あり
野菜「ちーっす」
カゴメ「こんにちわ」
野菜生活「おはよう」
賞味期限「さようなら」


なし
200ml「ちーっす」
特売「こんにちわ」

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じゃあ、この感覚はなんなのだ、、、


あり
200「よお」


なし
ml「久しぶり」

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これはわかりやすかった。

あり
ムドー「ちーっす」
ドラクエ3「よお」


なし
ドラクエ「こんにちわ」

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結論:
    あり、はすべて形でイメージできる。
     → 数字自体にも形がある

    なし、はイメージできないことはないが、「これだ」というイメージの基準となる形がない
     → というか、その言葉がさらに世界を内包してたり、
                      連想されるものが多すぎるだけなのか

というモヤモヤが今ありますよーっという話。

2011年12月20日火曜日

岡本太郎「美しく怒れ」を読んだ

以下、みじかい所感です。


・彼が本書の中で「怒る」のは、一個人や歴史の一時点にではなく、組織であり、社会の潮流に対してである。そのことが、生きてエネルギーを発し、生きて歴史を形成するものとしての人間存在についての重要な示唆を含んでいるように思える。

・「ふくらみ」という言葉を多用している。それも、形而下的な、形の上での「膨らみ」ではなく、形而上的な意味を語ろうとする文脈で用いているのが特徴的であった。それは肉体という器を飛び出していく自分自身そのものの「ふくらみ」である。

・強く感じられたのは、彼の語る幅である。動物、自然への畏敬や絵を描くということに対する観念や、はたまた政治的な問題に対しても、意見を持ち、提案し、怒っている。我々皆が自然に生まれた人間なのだから、自然に対して、あるいは人間が作ったものに対してすべからく意見できるのは当然のことだと実感した。

・何に対しても彼の怒りには一本の筋が通っている。そのことがここまで彼の文書を魅力の深いものにしている。と同時に、一本の筋が様々の分野に光を反射して、幾つもの彩りをもって表われている。語ることは面白いと感じた。

2011年12月19日月曜日

髪を切る前と切った後

昨日と今日はとても楽しかった。

友達が近くにいないから、人との交流を全力で楽しむようになった。

2011年12月12日月曜日

日曜日の夜!

頭が良くなったら、周りの人の困ってることを助けたい。
口を出すだけじゃなくて、時には行動も起こして。

本の中の人や現実の人やCDの中の人にかつて助けられたみたいに、俺も誰かにそうしたい。

あ、そういう風に考えたらいいんや
へぇ、そんな行動をすればいいんや

っていうことを、どんどん共有していきたいね。

でも、そのためには頭が良くなるだけではいけない。
それと同時に、心を優しくする必要がある。

自分が時間をかけて考えたり気付いたり学んだことを共有するのには、強い意志と心の優しさが要るからである。
自分が考えついたことを人に全部教えることに「勿体ない」と思う浅ましい気持ちがどうしても生まれる。
そのことを認め、しかしその上を踏み越えて誰かに共有しないと、心が籠らないので伝わらない。正しく伝わらない。

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「受け手の自由」というものを俺は積極的に尊重しない。
どんな思想や芸術も意味ありきであるべきだと思う。

意味をたらふくぶち込んであれば、重たくて感じにくくても、逆に散文的であろうとも伝わる。
そして、そういう誰かの考えを自分に伝えてやりたいと思う。

スカした野郎の空砲に踊らされるよりも、血肉を込めた弾丸に潔く撃ち抜かれる方がよっぽど気分がいい。
例えそれで傷を負っても、必ず完治する。

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心の機微は素粒子のようなものとして捉えられる。
強く相似なもの同士の結びつきで大きくなり、機能を増していく。
そしてそれらを肉眼で観測できる最小の単位が言葉なのである。

三島由紀夫の「詩を書く少年」と、ミシェルウェルベックの「素粒子」から連想された以上のような思想は、最近根付いたものなのだが、時間に比例せずなかなか深くまで根を降ろしたように感じる。

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日曜日の夜!

2011年12月3日土曜日

パソコンないとあたし死ぬねん

lenovoのThinkPadE420を買った!性能に比してまじ意味わからん安さやから、割とカスタマイズして良い感じの装備にしたった!具体的には指紋センサーとかつけて、CPUも底上げして、メモリもデフォで2スロットのところ同容量で1スロットのに変えた!!指紋センサーいらねえええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!

それがついさっきお隣の中国(天国と地国の間にある国)から発送されたというメールがきて、我今期待ニ胸躍ルの状態にあるのよね。

そしたら、そのメールを確認してからというもの、俺の愛用機大学の生協で買ったクソFMVが、いつもの暴力的なファン&ハードディスク音を鳴らさなくなった。

これはゆゆしき事態やわ。完全に寿命を悟って何かする気や。おれがデスクトップに置きまくってるテキストファイル(色んな書きかけのもの)をまとめて地獄に送る気かな?

まあだましだまし使い続けてバッテリーをはじめとするあらゆる機能がゴミになったので、今キーをかたかた打ってるこいつは別にサブ機とかにはならずに、ハードディスク叩き割ってどっかに引き取ってもらうつもりです。

こんなわけわからnソフトがインストールされまくってESCキーも取れた子に正直言って愛着はわかない。
「わけわからんソフトが多い」ってのがかなりでかいな。もうなんか色んなところに色んなファイルがありすぎて。。。。。


次に家に来るやつには、以下のフォルダしか作らずにおこうと思います。

「音楽」
「写真」
「ムービー」
「TXT」
「EROS」
「ブックマーク」


はいこれだけ。これだけあれば生きていける。
ソフトもiTUNESとIEのみの情弱仕様。クソクロームはもう入れない(←クソクロームっていう言葉の響きがめっちゃ好きで最近よく言ってる)

あと、ことばの響きで好きなのって言ったら、「庄屋か」っていう突っ込みが最近お気に入りやねん。

先輩とかに仕事振られたら極力「はいよろこんでー!」って言うようにしてんねんけど、5人いたら1人しか『庄屋か!』って突っ込んでくれへん。
ちなみにその突っ込んでくれる先輩が貸してくれたラーメンズ小林賢太郎のDVDをさっきまで見てましたが、内容が濃すぎて完全にお腹いっぱいモードになった。途中でやめた。

金曜日は野性爆弾川島の演劇に行きたかったけどいけなかったからまた機会を待つぼっくり。(しゃれ)