2011年7月15日金曜日

宝物あげるから、それに代わる何かをくれ

という思考について。

これはMOGA THE ¥5のある歌の歌詞なのだけど、とてもいいことを歌っているので、周知したいと思い、こうして時の止まっていたブログに、今更となった、あのMOGA THE ¥5解散ライブのときの記憶時間を挿入しているのであります。

例えば私が試験に向けて勉強するとき、何か仕事で成果物を作るとき。
そのようなときにかける時間と努力は、きっとそれ相応の成果をもたらします。
描くならば非常に綺麗な比例の曲線となるのではないでしょうか。
そして、ここで一番大事なのは、ほとんどの人間がそのことを、理性でも本能でも理解しているということです。


次に思い浮かべるのは、例えばとりとめのない思想に耽るとき、物語を構築するとき、歌を作るとき。


私たちは、それらの行動の為には、時間と努力だけではないたくさんのものを費やすことができます。

それは経験、あるいは記憶、あるいは苦悩、あるいは絶望。
意識せずとも自らの中に確立している何らかの思想を、明文化することで得られる感情。

自らの内から湧き出るそれらカタチの無いものを歌や思想に込めるのです。


そのとき、人は自分の込めた想いに対する執着と、作り出すものの素晴らしさを、簡単に比例の曲線にしてしまうのではないでしょうか。


思い出やトラウマが自分にとって凄惨たるものであるほど、たくさんの人の心を打つ歌が出来上がると。

作品の源泉とした記憶が昔のものであるほど、全ての人間に感ぜられる詩が出来上がると。


そういったことを無意識の内に考えてはいないでしょうか。



「宝物あげるから、それに代わる何かをくれ。」

無意識に、口ずさんではいませんか。

私の宝物は、誰かの宝物でしょうか。