2011年12月12日月曜日

日曜日の夜!

頭が良くなったら、周りの人の困ってることを助けたい。
口を出すだけじゃなくて、時には行動も起こして。

本の中の人や現実の人やCDの中の人にかつて助けられたみたいに、俺も誰かにそうしたい。

あ、そういう風に考えたらいいんや
へぇ、そんな行動をすればいいんや

っていうことを、どんどん共有していきたいね。

でも、そのためには頭が良くなるだけではいけない。
それと同時に、心を優しくする必要がある。

自分が時間をかけて考えたり気付いたり学んだことを共有するのには、強い意志と心の優しさが要るからである。
自分が考えついたことを人に全部教えることに「勿体ない」と思う浅ましい気持ちがどうしても生まれる。
そのことを認め、しかしその上を踏み越えて誰かに共有しないと、心が籠らないので伝わらない。正しく伝わらない。

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「受け手の自由」というものを俺は積極的に尊重しない。
どんな思想や芸術も意味ありきであるべきだと思う。

意味をたらふくぶち込んであれば、重たくて感じにくくても、逆に散文的であろうとも伝わる。
そして、そういう誰かの考えを自分に伝えてやりたいと思う。

スカした野郎の空砲に踊らされるよりも、血肉を込めた弾丸に潔く撃ち抜かれる方がよっぽど気分がいい。
例えそれで傷を負っても、必ず完治する。

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心の機微は素粒子のようなものとして捉えられる。
強く相似なもの同士の結びつきで大きくなり、機能を増していく。
そしてそれらを肉眼で観測できる最小の単位が言葉なのである。

三島由紀夫の「詩を書く少年」と、ミシェルウェルベックの「素粒子」から連想された以上のような思想は、最近根付いたものなのだが、時間に比例せずなかなか深くまで根を降ろしたように感じる。

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日曜日の夜!

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