2011年9月30日金曜日

言葉なんてのは「好き」と「死ね」だけ知っていれば生きていけるんです

若者が。
若者が若者が若者が
「けだるい」「広い交友関係」「繋がり」「自由」「何にも縛られないで生きる」「自然体な」「ありのままの自分」「やる気にあふれる」「向上心のある」「人を大切にする」「人に関わる仕事がしたい」「ゆるい」「てきとー」「自分のセカイ」「ダウナー」「コミュニケーション」

そういう言葉を好む若者が嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い

あいつらの汚さ
自分でじぶんの汚さに気付いていない汚さがほんとうに我慢ならない殺したい全員殺したい

自由な世界に生きてるなんて嘘嘘嘘嘘嘘嘘 嘘。
好きな服きてその場で会っただけの奴らと仲良くなり、愛し合い、自由に生きるなんて、生まれつきの容貌の良い一部の限られた人間にしかできない。

なぜならそれは限りなく閉じた世界。自分達を選民だと思っている

俺みたいな心の体も醜い根暗な人間はあんなサークルへ 入れる訳がない。 これはただの嫉妬ではない。嫉妬以上のメッセージを込めている。あんな自分たちで「自分たち」を選んでいる奴らが「自由を求める」なんて嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘クソクソくそクソクソクソクソクソクソ排他的排他的排他的排他的排他的排他的排他的排他的排他的死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

同じ空間を共有しなければならなくて近付いても、外見容貌見た目で否定されて嘲笑がずっとずっとずっと続く。そんなんわからん。なんで笑われてんのかわからん。

あいつらが自分達のことを、誰とでも分け隔てなく人と付き合うとかそういう感じに思い込んでいるそのさまがむかつく。
そしてそのような気持ちの悪い偽善的で(この文章のように)何も考えられていないメッセージに対して共感する若者、恥も外聞もなく「あなたたちのセカイの仲間に入れて欲しいの」とかほざく奴らも嫌い嫌い嫌い嫌い。


でもそれよりもっと万死に値する存在が、シニカルだかなんだかそんな面して「おれ達は自由な訳がない」とかほざく奴ら。
「俺はまともじゃない」「私はわがままだよ」「俺は良い人じゃないよ」とかいうね。自分で自分の低能さに免罪符を作るという最も愚かで生きているべきでない人間 。

入り口がない。俺に開かれた入り口だけがない。

そして絶対俺だけじゃない。 絶対俺だけじゃない。もっといる。 だから疎外感に死んでしまったりしない。もっともっと生きていなければならない。

いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ

いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ

いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ
いつかみてろいまにみてろ

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