1年間を通して、自分が知らない街で生きてきたことで、色々と知らないことを知った。
そうやって知覚範囲が拡大するほどに認識は圧縮されていき、昔大事だったことは思い出にタグ付けされ、重要ではなくなる。
それは、道を歩くときに草影に虫を見つけるという体験がなくなったことからもわかる。
そしてまた、何に危機感を覚えているのか。
それは、アウトプットができないことである。
時間軸ではとても短い、その日の出来事やいらついたこと、面白かった体験しか口をついて出てこない。
もはや、自分が考えうることなんてないんじゃないか。
という風にも思う。
生活はうまいこといっている。
願望もある。だがいかんせん、ものを知らない。
キーボードと脳を直結させている。
見えるのは読みかけの本とCDと、折り畳み傘と通帳とたくさんのペットボトル。
こういうものがどんどんと俺から何かをはがしていって、ごみ袋の中に連れて行ってしまう。
はがしていくというイメージは的確かもしれない。
生活物としてひとくくりにしていいかわからんけど、何も考えずに使っていると、少しずつはがされていく気がする。
精神が押しつぶされていた状態からはすっかり復活したので、次のステップにきた。
このむらむらした感じを、行動か言語か何かでショウカしたいな。
「しょうか」って良い漢字がいっぱいありますね。
おわり。
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